KENTAN日報 - 再現バックナンバー (2005年8月8日:更新)
1993年7月某日 (15歳:高校1年)
仙台から東京へ初めてひとりで新幹線に乗った。有楽町の銀河スタジオ(伊集院光のOh!デカナイト:金曜の視聴者参加コーナーの為に)に行くまでに時間があったので、有楽町周辺を歩いた。CD屋とか入った。街を歩いていたら、背中が黒くてアカがぼろぼろ剥がれてる人がいた。そのあと、銀座を歩いて、有楽町駅の橋の下の吉野屋で牛丼を食べた。初めてだったので緊張した。美味しかった。そのあと、皇居方面に歩いてニッポン放送に入った。銀河スタジオの中はピカピカと銀色のものが貼っていた。ひたすらたくさん曲を聴いて 悪 普通 良 に丸をつけていった。進行役は、荘口アナだった。赤い顔をしていた。眼鏡もかけていた。
1993年8月某日 (15歳:高校1年)
部屋にいたら、お母さんが下から呼んでいて、ニッポン放送からだった。1位の人のところで、今日の生放送で電話をつないでコメントしてほしいという事だった。でもその1位の人の曲を覚えてなかったので、スタッフの方が後で電話で聞かせてくれるのでまた連絡をするということだった。数分後に電話がまたきて、他に出てくれる人が見つかったのでその人にしますと言っていた。緊張するので、良かったと思った。
そのあと、生放送を聴いたら、その他の人は出てなかった。私と電話で話してノリが悪いからと思われたのかもしれない。
1994年9月某日 (16歳:高校2年)
今日は文化祭だった。将棋部の教室でもう一人の人と掃除をしていたら、顧問の先生から、部長になってほしいと言われた。先生から、掃除に真面目に出て来るというのを評価されたようなのだが、将棋のルールさえわからないので、断った。将棋で勝った事がないので、将棋部の部長にならないほうが良いと思った。